375kmを走る僧侶が目指す
人生のアスリート

Photography by Jason Halayko

山梨県の身延町に「走る僧侶」の異名を持つ、ウルトラディスタンスを走るお坊さんがいる。

身延山のふもとにある久遠寺は、仏教の日蓮宗の総本山。その近くにある、武井坊という宿坊(参拝客などが泊まることのできるお寺)に勤める小松祐嗣さんだ。小松さんにとって、仏門の道も走る道も、全てがチャレンジ。でも、この「走る僧侶」の中には、闘争心ではなく、強くて穏やかな精神を持ったアスリートが存在していた。

悲観的だった家業の継承

仏教の教えを実践せず、家のことはほったらかしだった反面教師の父、そんな父親に苦労をしてきた母。僧侶に対して最悪のイメージを持ちながら育った小松さんは、それでも母のため、実家のお寺を盛り上げるため、家を継いだ。

「あわよくばお坊さんじゃなくてもよかったです。お坊さんじゃなかったら... 冬はスキー場、夏は海辺で働き、自由気ままに暮らしたいです。バーテンダーや飲食業、ペンションとかも良いな」

そう言って笑う小松さんは、昔からスポーツに親しんでいた。

夏はサーフィン、冬はスノーボード。お金がない20代の頃はリフト券代の節約で、スキー場を自力でハイクアップしていたが、それすらも楽しんでしまうのが小松さんだ。

375kmの巡礼走

「スノボのためにランニングをしていました。山しかないから、山を走って。他のスポーツのためのランニングでしたが、当時から気持ちが良かった」

ランニングをメインに楽しむ今では、一人で100マイルを走ることが年に2回ほどあると言う。

「トレイルを走っていると、100マイルにも挑戦したいな、とぼんやり考えるようになりました。そうはいっても、大会は仕事に重なるので出られません。また、プライベートなことで、精神的にやられてしまった時期がありました。それまで自分がやってきた、トレランレースの主催や身延町の情報発信など、本来お坊さんの枠を超えた仕事も全否定された気分になったんです」

そんな時、これまでやってきたことは間違いではなかったと自分に言い聞かせるため、ソロの100マイル走にチャレンジした。日蓮宗に関連する寺院を結ぶルートを選び、28時間かけて完走。

今年は更に距離を伸ばし、日蓮上人が生まれた千葉県の誕生寺から身延町まで、375kmの巡礼走を5日間で達成した。

一人で長距離を走ることは仏教に通ずるところがあると言う小松さん。長い道のりを経てゴールした瞬間に湧き上がる気持ちは、「やったー!」と声を上げたくなるような歓喜ではないそうだ。

「ゴールは誰も見ていないし、誰も待っていない。『さあ帰ろう』という、何もない感じが仏教的で好き。心の動きが穏やかで、そのまま終われるところが好きなんです」

心と体とランニング

小松さんにとってのトレイルランニングの魅力は、山の静けさ、自然の大きさ、地球の生命時間を感じることによって、自分の命を感じることができるところ。

「たかだか80年の人生なんて、地球にとっては瞬きにも満たない長さ。そう考えると人生はあまりにも短くて、無駄にできる時間なんてないなと感じます。自分を見つめる大切な時間が、山を走ることによって得られる気がします」

また、走ると姿勢が良くなるため、自然と良い発想も浮かんでくると言う。

「心と体はリンクしています。日常の生活の中で落ち込んでいる人って、背中を丸めてうつむいていますよね。それで走れるかと言われたら、走れないでしょう。レースでも、ゾンビみたいに歩いている人がいます。当然、疲れや足の痛みがあると思いますが、基本的には、気持ちがやられているんです。気持ちが奮い立たず、トボトボ歩いているのだったら、胸張って、腕振って、前を向いて走ってみる。そうすると、また気持ちも盛り上がってきます」

これは、普段の生活にもすぐに取り入れられること。

「悩んでることがあるんだったら、胸を張ってみましょう。それだけで心が晴れてきます」

わたしの中のアスリート

走っている時の心の状態にも敏感な小松さんだが、自分をアスリートだと思う瞬間は、走っている最中ではなく、別のところにあった。

「9年前、身延町を盛り上げるために、『修行走』というトレランレースを立ち上げたことは私の大きな挑戦でした。小さいレースでも年に数回開催すれば、『そこに行けば仲間と走れる場所』になると考えて、開催を続けています」

昨年のレースは例年通りの開催とはいかなかったが、それでも参加者数を削減するなどの工夫をして、実施につなげた。

「特にコロナ禍では、人との繋がりを求めている人が多いと思います。この分断の世の中、ウェブでなんでもできても、実際に人と顔を合わせて同じ空気を味わって話す方が、気持ち良いし楽しいですよね。そういうものを世の中に提供していく意味があると信じて、挑戦し続けています。それがわたしの中のアスリートです」

人生のアスリート

地元でも「走る僧侶」として有名な小松さんは、周囲からはアスリートだと思われている。でも、それは決して自分だけではないと語る。

「例えば、80代のおばあさんが、普通の服で山の頂上にあるお寺まで登ってくるんです。何かの思いを持って、山を登ってきていることこそが、人生のアスリート」

人生は、長くて短いエンデュランス競技。その時間の流れの中で、私たちは大小さまざまな挑戦を繰り返し、確実に前進している。

「テレビでスポーツの大きな大会などを見ていると、アスリートはプロの特権のように扱われていますが、誰だって輝けるし、誰しもがアスリートな部分を持っています。だからこそ、大会を運営したいという思いもありますが、大会だけじゃなくて、日常でも同じ。へこたれているんだったら、前向いて胸張って、一日気持ち良く過ごせば、その日の勝者です」