生きている証

Photography by Jason Halayko

藤本幹人さんは文字通り、命のために走っている。

都内で個人タクシー業を営む彼は、ある日食道がんの診断を受けた。主治医からは当初、助かるかどうかわからないと言われ、望みの薄い状況だった。

藤本さんは毎日お酒を飲み続け、がんの診断を受ける前から痛みの自覚症状もあった。しかも、一日中タクシーを運転して客の送迎をするという、健康とは程遠い生活を送っていた。

しかし、外科手術の結果がんは浸潤しておらず、幸いなことに生きる望みを繋ぐことができたのだ。断酒会にも通い、アルコール依存症の仲間と交流して断酒に努めるようにもなった。ただ、それだけでは大きく生活を変えることができないとも感じていた。そこで、二度とがんにならないために免疫力を高めるべく、さらにそれまでの人生を180度変えようと、運動を通じて日々の習慣や行動を変えていくことを決意した。

そんなとき、『25メートル泳げる人なら誰でも』と書かれた地元のスイミングクラブを見つけ、すぐに通い始めた。最初は25メートルさえ泳げるか不安だったが、とにかく挑戦してみようという気持ちで泳いでみたら、次第に自分でも予想していなかったほど、週に何度も通うようになっていった。これほど打ち込めるようになったのは、がんを経験したからこそ得た気づきがあったから。

「身体を動かせるのは、まさに生きている証。勿論トレーニングはハードですが、病はもっと大変ですから」

しばらくして、トライアスリートでもあるスイミングクラブの代表から、トライアスロンに誘われることに。自分の身体が耐えられるかどうかはわからなかったが、運動することによって発見した新たな気づきを信じて、とにかく挑戦してみようと思った。そうと決まれば行動が早い藤本さんは、早速サイクリングとランニングにも取り組み、初めての大会にもエントリーをした。そして今年の5月、ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会、通称 横浜トライアスロンに出場し、見事完走を果たすことができた。1年にも満たないわずか数ヶ月の間に、ほとんど運動をしなかった彼は、トレーニング積んだアスリートたちと一緒にレースをするようになったのだ。

まさか自分ができるとは思わなかったようなことをやってのけ、高揚感を得た藤本さん。それは、久しぶりに希望に満ち溢れた気分を与えてくれた。そしてその瞬間、彼はこのわずかな期間の出来事に、変化の可能性を確信した。

「私たちは皆、困難に直面することがあります。でも、自分の力で立ち直るためには、行動を起こすことが重要です。たとえ小さな一歩であっても、行動を起こさなければ何も変わりません」

藤本さんの場合、その小さな一歩は限界突破に向けて、飛躍的に伸びていく。初めてのトライアスロンを終えるとすぐに、また一つ目標が欲しくなり、さらなる逆境に身を置きたくなった。サハラマラソン (Marathon des Sables) にエントリーしたのは、そんな思いからだった。しかし、このレースは生半可な気持ちで参加できるものではない。156マイル (約250km) にわたり、砂漠地帯特有の厳しい環境の中で7日間の日程で行われ、地球上で最も過酷なフットレースとだ言われている。藤本さんは参加するだけでなく、もちろん最後まで完走するつもりだ。ただし、彼がレースに最も求めているのは、勝つことでも、完走することでも、トレーニングすることでもない。競技をすることは、もはや生きることそのものなのだ。

「レースのためだけのトレーニングではなく、バランス良く生きるためのものです。ただ、身体を動かしたいという気持ちがあるのです」

現在、藤本さんのがんは寛解している。そして病を乗り越えた経験があったからこそ、運動できることを当たり前のことだとは思っていない。今後も止めることなく、できる限り多くの時間を身体を動かすことに費やしていきたいと考えている。そのモチベーションは至ってシンプルだ。

「今の方が人生輝いていますからね」