ツール・ド・フランス 2021
歴史的ヒルクライム10選

ツール・ド・フランスは、1910年にツールマレー峠を初めて超えたときから、山岳地帯なしでは語ることができない大会となった。そして108回目を迎える今年のレースでも、おなじみのモン・ヴァントゥから比較的新しいポイントまで、数々のビッグクライムが選手たちを待ち受ける。これらのアセントの歴史に触れつつ、今年のレースコースを紹介する。

著:Peter Cossins。ジャーナリスト、作家。 “A Cyclist’s Guide to the Pyrenees(サイクリストのためのピレネーガイド)” 著者。写真:Daniel Hughes。Epic Colsの創設者兼クリエイター。

第8ステージ:コロンビエール峠

フランスアルプスの北側にあるこのヒルクライムは、1960年に登場して以降、もはやツールの定番となっている。リゾート地帯として知られるモルジヌに向かうステージに組み込まれることが多く、その後出現する超級山岳コル・ド・ジュ・プレーンの模擬試験といったところだろうか。1997年の大会では、Richard Virenqueが4度目の山岳賞を取るべくリードしていたものの、その年モルジヌで勝利をあげたのはMarco Pantaniだった。その3年後、Lance Armstrongを引いてコロンビエール峠を最初に登りきったPantani。しかしそんな彼を差し置いて、今度はVirenqueがモルジヌを制したのだった。

最近では、ル・グラン=ボルナンに突入するステージの最終難関の一部として、ロム峠と繋げられることが多い。今年もそうなっている。これら隣り合う峠を組み合わせると、平均勾配8.5%強、16km以上の登りとなる。なお峠の間に出現する下りは6kmのみ。特にコロンビエール峠のラスト4kmは最もタフな区間となる。勾配が10%近くあるだけでなく、山頂が常に見えている分、いくら踏んでも到達できない感覚に陥るのだ。

第9ステージ:プレ峠

そこまで名の知れた峠ではないが、その姿かたちを見るともっと有名であってもおかしくない。2018年に初めてツールに登場し、レースルートに組み込まれるのは今回でまだ2回目である。開いた口が塞がらないほど美しく素晴らしいこの峠があるのに、なぜいつも、ボーフォールからコルメ・ド・ロズラン峠に伸びるあの単調なメインロードが選ばれるのかがわからない。5kmの軽いヒルクライムから始まり、その後アレッシュから山頂付近までは9%の勾配をただひたすら登る、なかなかハードな区間である。

ツールオーガナイザーのASOは長い間ここを避けてきたが、やっと目を向けるようになった。2018年のクリテリウム・デュ・ドーフィネではラ・ロジエールに向かうステージに使われ、その1ヶ月後に行われたツールで同じ場所がステージフィニッシュの地に設定されたことで、初めてツールでも採用された。その年はWarren Barguilがプレ峠を制し、Geraint Thomasがラ・ロジエールで勝利した。今年のクリテリウム・デュ・ドーフィネでは、アメリカのLawson Craddockが峠をとったことでも話題になった。

第9ステージ:コルメ・ド・ロズラン

コルメ・ド・ロズラン峠がツールのルート計画に含まれるのは今年で14回目だが、実はまだ12回しか走られていない。というのも、2019年のツールでは激しいスコールによる土砂災害で、この地の多くの道が被害に遭ったことで外された。ボーフォルタンとタロンテーズを繋ぐ動脈だが、特に魅力的というわけでもないため、物語のあとがきくらい盛り上がらなかった。だがASOがプレ峠を見つけてからは、2つの峠がお互いを引き立て、ロズランのアセントは全くの別物となった。

プレ峠からは、わずか2kmの下りを経てロゼラン湖の下端のダムに到達する。円形のダムを半周して、コルメ・ド・ロズラン峠に向けて5.7km・6.5%のヒルライムに入る。ちょっとコースが甘いのではと言う人もいるが、それはさておき、とにかく雄大な景色を堪能してほしい。360°の大パノラマには、西ヨーロッパ最高峰のモンブランも含まれる。絶景スポット間違い無し。

第11ステージ:モン・ヴァントゥー

ツールで「プロヴァンスの巨人」に差し掛かるときは常に盛り上がるが、今年は1ステージで2回も通過することになるので、楽しさも倍増するだろう。一度目は、チャーミングなスーの村から。いちばん簡単だが、距離でいったら最も長い区間となる(24.3km・平均5%)。初めてヴァントゥーで乗る人には、うってつけのルートだ。このヒルクライムは、過去に一度だけ、1974年の大会で登場した。森林の中を18km進み、シャレー・レイナードのスキーステーションに辿り着く。その後、ベドアンからの定番ルートと交わり、開けた山側に出てからは、山頂までの残り6km、ヴァントゥー名物の月面のような景色の中を登っていく。

ヴァントゥーの西側をマロセーヌまで下った後、選手たちはベドアンまで進んでいく。ツールにおいてベドアンは、モン・ヴァントゥー山頂までの18の登りルートの内、14のルートの跳躍版的なスポット。15.7kmと、ソーからのルートよりは距離が短いものの、平均勾配8.8%が選手たちを苦しめる。峠の麓にあるサンテステーヴの曲がりから、シャレー・レイナードまは9%の勾配が続き、そのうえ森の中は暑い。山が開ける最後のセクションでも、強風と太陽の日差しが容赦ない。1967年のツールで、山頂から1kmの場所で倒れた後に亡くなった英国のTom Simpsonの銅像に見守られながら、選手たちは難関を通過する。

第15ステージ:ベイシャリス峠

ブエルタ・ア・エスパーニャの主催者は、自国のナショナルツールをより刺激的なものにするため、常に激坂を探している。特にアンドラのエンカンプからのこの登りは、彼らのお気に入りの一つだ。初めてブエルタで登場したのは2015年、山頂までの2.5kmのグラベルセクションが舗装されてからのことだった。ツールに出現したのはその次のシーズン、アンドラへのステージで採用された。そのとき山頂をとったのは、フランスのThibaut Pinotだ。

6.4kmと長さはそこまでないが、中間セクションでは平均勾配11%の道が2km続き、その間も更に急なランプが度々出現する。エンカンプからは、タバコ畑抜けて徐々にヒルクライムが始まる。鋭い右カーブを通過してから少しだけ下り、その後は急なヘアピンカーブがいくつか出現する。道はかなり緩やかになるが、苦しいスイッチバックのコースでライバルに差をつけられた選手たちには、何の気休めにもならないだろう。

今年の5月に19:36のタイムでKOMを更新したのは、Ineos GrenadierのPavel Sivakov。ジロ・デ・イタリアに向けてトレーニングをしていたそうだ。

第17ステージ:ペルスールド峠

ペルスールド峠は、ツールが初めて高山地帯を目指すようになった1910年大会から使われている。それまで1,500mを越える峠がコースに採用されたことはなく、またペルスールドは「死のサークル」と呼ばれる峠の一つ(他にはアスピン、ツールマレー、オービスクがある)だったことから、当時はかなり恐れられていた。それ以降はツールのお気に入りルートとなり、昨年で50回目の通過を果たした。ちなみにそのとき山頂をとったのは、そのままルダンヴィエルでステージ優勝したフランスのNans Petersだった。

リュションの西側から入る場合の距離は13.2kmとなり、起伏の少ない平均勾配7%の登りがずっと続く。それこそピレネーらしさはあまりない。プロのトップ選手であれば約40分で登り切るだろう。ただ、コル・ダスパンラ・ウルケット・ダンシザン、また今年だとコル・ダゼなどの峠と必ずと言っていいほど組み合わさる分、難易度が高くなる。

第17ステージ:ヴァル・ルーロン・アゼ峠

お近くのペルスールドとは対象的に、通称コル・ダゼと呼ばれるこの峠は非常に「ピレネー感」に溢れている。7.4kmと短めだが、その間で1,600mを登る。ふもとの東側に位置するジェノス村から急勾配な道が森林まで続くが、そこからヘアピンカーブのスタート地点までは少しなだらかになる。しかしその後は平均勾配9.5%、3kmのヒルクライムが待っている。木々の間から景色が開けるタイミングで勾配は小さくなり、南と東側の素晴らしい眺めの中を進んでいく。晴天であれば、アゼの頂上から、ペルスールドとポルテの峠も見ることができるだろう。

ツールにこの区間が含まれるのは、今年がまだ9回目。前回登場したのは、F1レースのようなスターティンググリッドが特徴的だった2018年のツールで、リュションからポルテ峠へ向かう65kmのステージの、2つ目の山場だった。アゼまでトップを死守したのは、山岳賞獲得者を示す赤い水玉模様のジャージを着たJulian Alaphilippeだった。そしてフランスの同胞David Gauduが、同じ日にセグメントのKOMタイムを21:23に更新している。

第17ステージ:ポルテ峠

2018年にツールに初登場してから、ポルテ峠はピレネーの象徴的なヒルクライムの一つとされている。ツール・ド・フランスのレースディレクターであるThierry Gouvenouは、ピレネー山脈のフランス側では、最もタフなヒルクライムだと言う。その評価通り、ルートは16km・平均勾配8.7%にも及ぶ。サン=ラリ=スランの西に位置するヴィネック村からスタートして、ヘアピンカーブの曲がり角まで急坂を1km走行。ここには、1974年のツールでフランスのRaymond Poulidorがマイヨ・ジョーヌのジャージを着たEddy Merckxをアタックで制してアゼのスキー場で大勝利を上げた際の記念プレートが飾られている。

スキーステーションに向かう道のりは恐ろしいほどに急勾配で、エスピオーブまでの7kmを過ぎてようやく緩やかになる。ここで左折するとアゼのスキー場に、右折するとポルテ峠へと続く。その後すぐに、ヘアピンカーブが連なる狭い道に入る。急に勾配が15%になったかと思えば、また緩やかになり、そんな起伏の激しい道が続く。ヘアピンの道をすぎると、真っ直ぐでよりスムーズなロード区間に入る。でも最後の1kmは、リフト乗り場をめがけて再び激坂を登らされる。

2018年のツールでは、生粋のクライマーであるNairo Quintanaが勝利したのは少し驚きだったが、その日セグメントのKOMを更新したのは、50:26を記録したSteven Kruijsiwijkだった。

第18ステージ:ツールマレー峠

ツールで最も愛されている峠は、このツールマレーであることに異論はないだろう。レースコースに組み込まれるのは、これで88回目となる。今年は峠の東側から、サント・マリー・ド・カンパンの村を通過していくコースとなる。ここは1913年、Eugene Christopheが10km先の鍛冶屋まで自転車を持って峠を降り、壊れたフロントフォークを直した場所としても有名だ。

17.1kmにわたる峠道の最初の5kmは、勾配が6%を下回る穏やかな道だ。しかしグリップの集落を過ぎると、山頂まで急坂が続く。最もタフなのは、ラ・モンジーリゾートまでの4km、平均勾配9.5%の区間だろう。スキーステーションを過ぎても、標高2,115mの峠までヘアピンカーブが続くなど、困難なコース。またこの場所には、1910年大会でツールマレーを初めて制したOctave Lapizeの立像と、1936年から1987年まで大会ディレクターを努めたJacques Goddedの記念碑が置かれている。

セグメントのKOMは、2018年大会にてフランスのDavid Gauduが50:35のタイムでとっている。

第18ステージ:リュス・アルディダン

リュス・アルディダンに続くこの美しい区間がコースに入るのは今年が9回目。最初に登場した1985年のステージ勝者はスペインのPedro Delgadoだったが、本当のドラマはその後方で起こっていた。レースリーダーだったフランスのBernard Hinaultは、その数日前の落車で負った怪我により、ライバルとの差をつけられていた。でもラッキーなことに、彼のチームメイトのGreg LeMondがその日絶好調だったため、Hinaultは最後まで生き残ることができたのだ。また2003年には、Lance Armstrongがファンとぶつかり、Iban Mayoを巻き添えにして落車した場所でもある。

この13.3kmのヒルクライムは平均勾配7.4%で始まり、リュス=サン=ソヴァールの温泉街まで林を抜けて登っていく。グリュスト村までは勾配が更にきつくなり、そこからヘアピンカーブが連なる長い区間が始まる。スイッチバックを繰り返して木々の間を抜けるとすぐに景色が開け、観客はカーブの間の高い土手の上から、まだ3−4km地点にいる選手たちを見ることができる。壮大な「自然のアリーナ」とも言える。山頂にあるスキーステーションまでの最後の数キロは、平均を下回る勾配で多少は緩やかになる。